『懐疑の精神』の詳細情報

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タイトル 懐疑の精神
サブタイトル
著者 [著者区分]西尾幹二 [著・文・その他]
出版社 国書刊行会 レーベル
本体価格
(予定)
5800円 シリーズ 西尾幹二全集
ページ数 616p Cコード 0310
発売予定日 2012-07-23 ジャンル 一般/全書・双書/哲学
ISBN 9784336053824 判型 A5
内容紹介
今まで知られていない重要初期論文「ヒットラー後遺症」「大江健三郎の幻想的な自我」「国家否定のあとにくるもの」のほか、比較文学・比較文化の学問上の方法論に対する本質的批判等、多くが未所収の作品で構成される。
目次
第三巻 懐疑の精神


Ⅰ 懐疑のはじまり(ドイツ留学前)
   私の「戦後」観
   私のうけた戦後教育
   国家否定のあとにくるもの
   知性過信の弊(一)
   私の保守主義観
  「雙面神」脱退の記
   一夢想家の文明批評―堀田善衛『インドで考えたこと』について
   民主教育への疑問
   知識人と政治
 

Ⅱ 懐疑の展開(ドイツからの帰国直後)
   ヒットラー後遺症
   状況の責任か、個人の責任か―ハンナ・アレント『イェルサレムのアイヒマン』
   大江健三郎の幻想風な自我

   知性過信の弊(二)
   国鉄と大学
   喪われた畏敬と羞恥
   文化の原理 政治の原理
   ことばの恐ろしさ
   見物人の知性
    見物人の知性( )外観と内容( )ネット裏の解説家( )
   二つの「否定」は終わった
   自由という悪魔
   紙製の蝶々
   高校生の「造反」は何に起因するか
   生徒の自主性は育てるべきものか
   大学知識人よ、幻想の中へ逆もどりするな
   安易な保守感情を疑う


Ⅲ 懐疑の精神(七〇年代以降今日まで「現代の批判」)

   老成した時代
   現代において「笑い」は可能か
   成り立たなくなった反語精神
   現在の小説家の位置
   生活人の文学
   日本主義―この自信と不安の表現
   実用外国語を教えざるの弁
   わたしの理想とする国語教科書
   日本を考える(諸篇)
    「反近代」論への疑い( )日本人論ブームへの疑問( )読者の条件( )
     比較文化論の功罪( )節操ということ( )前向きという名の熱病( )
     変化のなかの同一( )江戸の文化生活( )物理的な衝突( )
     現代のタブー( )土俗的歴史ブーム( )
   個人であることの苦渋

Ⅳ 情報化社会の懐疑

   言葉を消毒する風潮
   マスメディアが麻痺する瞬間
   テレビの幻覚
   権利主張の表と裏
   ソルジェニーツィンの国外追放
   韓非子を読む毛沢東
   ノーベル平和賞雑感

Ⅴ 古典のなかの現代

   知的節度ということ―サント・ブーヴとゲーテの知恵
   人は己れの保身をどこまで自覚できるか―ピランデルロと教養人の生き方
   富と幸福をめぐる一考察―ベーコン、ショーペンハウアー、ニーチェ
   古典のなかの現代―ベーコン、ニーチェ、ルソー、ヴォルテール、パスカル、
   吉田兼好、マキアヴェリ

Ⅵ 観客の名において―私の演劇時評
   序にかえて―ヨーロッパの観客
   第一章 文学に対する演劇人の姿勢
   第二章 解体の時代における劇とはなにか
   第三章 『抱擁家族』の劇化をめぐって
   第四章 捨て石としての文化
   第五章 ブレヒトと安部公房
   第六章 情熱を喪った光景
   第七章 シェイクスピアと現代

Ⅶ 比較文学・比較文化への懐疑
   東京大学比較文学研究室シンポジウム発言
    比較文学比較文化―その過去・現在・未来(司会芳賀徹氏)
   東京工業大学比較文化研究室シンポジウム発言
    比較文化とはなにか、それはなにをなし得るか、またなし得ないのか?
    (司会江藤淳氏)

追補 今道友信・西尾幹二対談―比較研究の陥穽
後記
著者略歴(西尾幹二)
評論家。電気通信大学名誉教授。1935年東京生まれ。東京大学文学部独文科卒業。同大学院文学修士。文学博士。ドイツ文学者。ニーチェ、ショーペンハウエルの研究、翻訳をはじめ、文学、教育、社会、政治、国際問題等幅広く評論活動を行っている。最近では反原発を明確に打ち出し、人類の生命維持から訴えかける論点が注目されている。
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