『予測不可能性、あるいは計算の魔 ~あるいは、時の形象をめぐる瞑想 ~ 』の詳細情報

予測不可能性、あるいは計算の魔
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タイトル 予測不可能性、あるいは計算の魔
サブタイトル あるいは、時の形象をめぐる瞑想
著者 [著者区分]■イーヴァル・エクランド [著・文・その他]
■南條郁子 [翻訳]
出版社 みすず書房 レーベル
本体価格
(予定)
2800円 シリーズ
ページ数 208p Cコード 1041
発売予定日 2018-08-11 ジャンル 教養/単行本/数学
ISBN 9784622087021 判型 46
内容紹介
数学で〈時〉を捉えられるだろうか? ニュートンは決定論的な宇宙の中に時を封じ込め、ポアンカレは世界の複雑性の中に時のダイナミズムを再発見し、ルネ・トムは「形」によって時を捉えようとしたが、時の本性はいつも数学者たちの手をすり抜ける──。
たゆみなく流れているはずの時が運動と軌跡の内部に組み込まれてしまう第一章。物理世界の随所に潜む無秩序と計算不可能性が発見されるとともに、根本的に新しい時のイメージが浮上する第二章。時をとらえるもう一つの数学として、発表当時センセーショナルに関心を呼んだカタストロフ理論を、その限界とともに鮮やかに振り返る第三章。そして最終章では、時の物理数学と文学が思いもよらない形で結びつく。この世界の変転は計算し尽くせない。だからこそ、時の本性を捉えることは数学者たちの見果てぬ夢であり続ける。
数学書の優れた書き手として知られるエクランドの著書のなかでも、時の形象という絶妙なテーマに沿って書かれた本作は、フランスでジャン・ロスタン賞を受賞し、日本語以外に9カ国語に翻訳されている珠玉作だ。
目次
はじめに

第一章 天球の音楽
ケプラーの法則
天体力学
古典的決定論

第二章 砕けた水晶玉
不可能な計算
ポアンカレの仕事
決定論的でありながらランダム
不安定でありながら安定

第三章 帰ってきた幾何
注意書き
散逸系
カタストロフ
理論
批判

第四章 終わりと始まり

訳者あとがき

付録1 ポアンカレの主題による前奏曲(プレリュード)と遁走曲(フーガ)
付録2 ファイゲンバウムの分岐
参照図書など
著者略歴(イーヴァル・エクランド)
パリ第9パリ・ドフィーヌ大学エメリタス教授。1944年、パリ生まれ。CNRS研究員を経て、1970年から2002年まで、パリ第9大学を中心に数学科の教授を務め、エコール・ポリテクニーク、サン・シール陸軍士官学校などでも教鞭をとる。1989年から1994年まではパリ第9大学学長、2003年から2011年にはカナダのブリティッシュ・コロンビア大学教授、パシフィック数理科学研究所所長も務めた。1996年、ベルギー王立科学アカデミーグランプリを受賞。1997年よりノルウェー科学アカデミー会員。
著者略歴(南條郁子)
翻訳者。お茶の水女子大学理学部数学科卒業。訳書に、マクシム・シュワルツ『なぜ牛は狂ったのか』(共訳・紀伊國屋書店、2002)、カール・サバー『リーマン博士の大予想――数学の未解決最難問に挑む』(紀伊國屋書店、2004)、イーヴァル・エクランド『偶然とは何か』(創元社、2006)『数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ』(みすず書房、2009)『予測不可能性、あるいは計算の魔――あるいは、時の形象をめぐる瞑想』(みすず書房、2018)、ローラン・プリューゴープト『アルファベットの事典』(創元社、2007)、デイヴィッド・ムーア他『実データで学ぶ、使うための統計入門──データの取りかたと見かた』(共訳・日本評論社、2008)、スティーヴン・ストロガッツ『ふたりの微積分――数学をめぐる文通からぼくが人生について学んだこと』(岩波書店、2012)、ジェームズ・フランクリン『「蓋然性」の探求――古代の推論術から確率論の誕生まで』(みすず書房、2018)、ほか。
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