『日本写真論 近代と格闘した三巨人』の詳細情報

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タイトル 日本写真論 近代と格闘した三巨人
サブタイトル
著者 [著者区分]日高 優 [著・文・その他]
出版社 講談社 レーベル
本体価格
(予定)
2200円 シリーズ 講談社選書メチエ
ページ数 336p Cコード 0372
発売予定日 2024-06-13 ジャンル 一般/全書・双書/写真・工芸
ISBN 9784065361528 判型 46
内容紹介
江戸幕末期に日本に渡来した写真術は、日本が近代化を急激に推し進めた明治時代に社会に導入され、普及し始めた。遡れば、フランスでルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787-1851年)が「ダゲレオタイプ」と呼ばれる最初期の写真を開発したのは1839年。この新しい技術は日本の人々にも衝撃を与え、やがて西洋で流行していた「絵画主義(ピクトリアリズム)」という表現と技術の習得が求められていく。
だが、そうした時代の中で、写真という技法の恐るべき単純さに気づき、ただひたすらにその単純さを極めようとする者たちが現れた。その系譜に位置づけられるのが、本書が取り上げる三人の巨人――木村伊兵衛(1901-74年)、土門拳(1909-90年)、濱谷浩(1915-99年)にほかならない。
写真の単純さとは何か。それは「物が在って、それが写真に写る」という事実である。写真は、物が放つ光の痕跡であり、物が放つ光、渦巻く光の運動である物が写真におしとどめられる。この事実にこそ忠実であろうとした三人が、いかにして写真と出会い、その本質に気づき、それぞれの手法で、それぞれの対象を通して、どこに向かって歩んでいったのか。その軌跡を、本書はただ愚直に、ただ単純に追求していく。
著者は言う。「彼らは機械文明が戦争という頂点をなす戦前の激動期にそれぞれ写真に決定的な仕方で出会っている。彼らは、欧米化=近代化の問いを日本という土壌で強いられつつ、写真を自らが拠って立つ基盤として選び取って、写真に生きた写真家たちであった」。本書は、日本という場所でこそ花開いた写真の可能性を明らかにし、世界と写真という「神秘」は誰もが経験できることを示す、まさに写真原論と呼ぶにふさわしい渾身の1冊である。

[本書の内容]
序 章 写真なるものの出来──近代文明のただなかで
第一章 物への信仰に至る写真──木村伊兵衛という源泉
第二章 凝集する時間、満々たる写真のさざめき──土門拳という極北
第三章 潜在するふるさとに向かって──濱谷浩の継承と返礼
終 章 生まれ出づる写真家たちへ──知覚のレッスンに向かって
目次
まえがき

序 章 写真なるものの出来──近代文明のただなかで
第一章 物への信仰に至る写真──木村伊兵衛という源泉
第二章 凝集する時間、満々たる写真のさざめき──土門拳という極北
第三章 潜在するふるさとに向かって──濱谷浩の継承と返礼
終 章 生まれ出づる写真家たちへ──知覚のレッスンに向かって


引用文献一覧
あとがき
著者略歴(日高 優)
1972年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。現在、立教大学現代心理学部教授。専門は、写真論・視覚芸術論・映像身体学。
主な著書に、『現代アメリカ写真を読む』(青弓社)、『〈風景〉のアメリカ文化学』(共著、ミネルヴァ書房)、『映像と文化』(編著、京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎)ほか。
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