『恐怖と自由 ~ジュディス・シュクラーのリベラリズム論と21世紀の民主制 ~ 』の詳細情報
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タイトル |
恐怖と自由 |
サブタイトル |
ジュディス・シュクラーのリベラリズム論と21世紀の民主制 |
著者 [著者区分] | ■ヤン=ヴェルナー・ミュラー [原著] ■古川高子 [翻訳]
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出版社 |
みすず書房 |
レーベル |
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本体価格 (予定) |
3800円 |
シリーズ |
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ページ数 |
200p
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Cコード |
1010 |
発売予定日 |
2024-11-06 |
ジャンル |
教養/単行本/哲学 |
ISBN |
9784622097358 |
判型 |
46 |
内容紹介 |
これほど多くの人がリベラルを攻撃したがるのはなぜだろう。その攻撃に正当性はあるのだろうか。リベラリズムを打ちのめして生まれる非リベラルな社会は、リベラルな民主制社会より良くなるのだろうか。それは誰にとって、どう良くなるのだろう。執拗な攻撃を受けてリベラルは自己批判を始めたが、それが実を結んでいないのはなぜだろう。――こうした問いにどう答えるかは、リベラリズムをどうとらえるかによる。そこで本書が指針にするのはジュディス・シュクラーである。 シュクラーは20世紀の最も重要な政治思想家のひとりであり、本書はその著名な論文「恐怖のリベラリズム」に依拠している。これは、身体的・精神的な残虐さの恐怖に人びとをさらす権力を注視し、そうした恐怖の低減をリベラリズムの礎に置く思想である。一見とても平凡に見えるこの思想がリベラリズムの真価をよく示しているということを、本書は21世紀の今の状況に即してリアルに語っている。 「リベラリズムは時代遅れなのか。廃れるべきは、偽りの方程式、偽りの対立、さらに誤った一般化を扱うリベラリズムについての議論である」。 巻末には「恐怖のリベラリズム」の全訳を併録した。
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目次 |
出発地――自己満足と自虐の狭間から 第1章 これは一方通行路なのか? 第2章 むち打ち症をわずらう 第3章 シュクラーの地図を見る 第4章 新しいルートを検索する 到着地、ただし目的地ではない
謝辞
「恐怖のリベラリズム」 ジュディス・シュクラー
訳者あとがき 原注 |
著者略歴(ヤン=ヴェルナー・ミュラー) |
プリンストン大学ロジャー・ウィリアムズ・ストラウス記念社会科学教授。オックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジの研究員を務めたほか、数多くの大学で客員教授を歴任。『ニューヨーク・タイムズ』『ガーディアン』『フォーリン・アフェアーズ』『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』などに政治・社会問題に関する論考を寄稿。日本語訳のある著書に、A Dangerous Mind: Carl Schmitt in Post-War European Thought(『カール・シュミットの「危険な精神」』ミネルヴァ書房、2011)、What Is Populism?(『ポピュリズムとは何か』岩波書店、2017)、Constitutional Patriotism(『憲法パトリオティズム』法政大学出版局、2017)、Contesting Democracy(『試される民主主義 上・下』岩波書店、2019)、Democracy Rules(『民主主義のルールと精神』みすず書房、2022)。本書『恐怖と自由』で2021年のバイエルン図書賞を受賞。 |
著者略歴(古川高子) |
(ふるかわ・たかこ) 東京外国語大学世界言語社会教育センター特任講師。博士(学術)。専攻はヨーロッパ史。主要著作・論文に「オーストリアにおける「保守派」の反原発運動とその環境保護思想」『クァドランテ』No.16(2014)、「歴史を背負った山」『ドイツ文化事典』(共著、丸善出版社、2020)、「戦間期オーストリアにおけるナショナルツーリズム――登山家協会と大衆運動の連係による国民形成」(博士論文、東京外国語大学、2022)、映画吹替・字幕翻訳にフレディ・ムーラー監督『緑の山』(1990年制作、日本公開2017年、2020年)。 *ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。 |