はじめに 第一章 佐藤俊介――父勝身と「生長の家」 花巻での幼年期 盛岡市での少年期 俊介の病――聴覚を失って 画家への目覚め 上京――太平洋画会研究所 赤豆アトリエ 佐藤勝身と「生長の家」 俊介と「生長の家」――禎子との出会い 第二章 松本家の人々――『雜記帳』と禎子 松本肇と恒 谷口雅春との出会いと自由学園 俊介・禎子の交際 俊介の分身――蔵書 画家佐藤俊介の仕事 結婚――佐藤俊介から松本俊介へ 念願の『雜記帳』発刊 長男晋の死 『雜記帳』の終焉 第三章 「生きている画家」――莞と俊介 太平洋戦争突入までの仕事 「生きてゐる画家」 《画家の像》と戦争画 太平洋戦争開戦と《立てる像》 幻の二〇〇号作品 「新人画会」そして俊介から竣介へ 父竣介と私の時間 竣介のコミュニケーション能力 絵画制作の原点――デッサン 竣介の街歩きとスケッチ 作品制作のプロセス 第四章 戦火の下で――疎開と終戦 戦時中の松本家 松本家の疎開 孤軍奮闘の竣介 終戦―敗戦 占領への恐怖 出版事業への飽くなき挑戦 混乱を極める社会情勢 私の国民学校入学と松江の生活 第五章 再出発――洋子と竣介の死 美術界再出発の提言 絵画制作の再開 難航する家族の引揚げ計画 松江から、父竣介のもとへ フランス行きの夢 長女洋子の死 父竣介の死 第六章 禎子の戦い――遺作と遺産 主のいないアトリエ 竣介の死を悼む仲間たち 故・松本竣介遺作特別陳列と『松本竣介画集』の刊行 鶴岡政男《夜の群像》と幻の一〇〇号作品 困窮に立ち向かった禎子 手元を離れた作品たちと禎子の仕事ぶり 竣介の遺産「結核」の決着まで 第七章 竣介を識る旅――美術館と画廊の人々 神奈川県立近代美術館での初回顧展 画商との出会い――兜屋画廊と南天子画廊 朝日晃という人 「松本竣介記念室」と畑山昇麓との因縁 叔母松本栄子のこと ついに戻らなかった《運河風景》 竣介にとりつかれた男・大川栄二 禎子の「綜合工房」 私の盛岡そして上田浩司 大川栄二、美術館をつくる 没後五〇年 松本竣介展 間違いが広まること 新しい「竣介像」を拓く展覧会 あとがき 松本竣介 関連系図 松本竣介 関連年譜 |