無力さという重力を担ぎ 歩け、歩け、歩け――。 八方塞がりの中にあるのは 私か、あるいは世界か。
「飲酒欲求をなんとか紛らせようとして歩きはじめたのだったが、それは身体に気を遣おうなどという、前向きな健康的な理由からではなく、度々起こしていたすんでのところのボヤ騒ぎをこれ以上繰り返すまいと思ったためだった」
介助者、アナキスト、詩人……。究極Q太郎さんにはこのような貌(かお)がある。 19歳、浪人時代に飯島詭理(いいじま・きり)名義で「第24回現代詩手帖賞」を受賞。が、その後、大学ではノンセクト運動と介助者としての生活を送る(その後退学)。 介助者としては、金井康治さんや新田勲さんの介助にも入り、機関誌『タビットソン』(金井康治命名)の編集に参加したり、「グループもぐら」の活動に参加して機関誌『グループもぐら』通信の編集に加わる。そして、『現代思想 特集=身体障害者』(1998年2月号)の編集にもたずさわった。 アナキスト界隈では、「3A(スリーA)の会」に加わり機関誌『Actual Action』に参加したり、『Anarchist independent Review』にも参加した。 その間、早稲田に交流スペース〈あかね〉を立ち上げ、詩作との距離は都度、広がったり縮んだり。ミニコミ詩集を作品の主な発表の場としてきた。
本書『散歩依存症』は、究極Q太郎という人が、アルコールとの関係がのっぴきならないものになったとき、華麗に依存対象を「散歩」に置き換えたことに端を発して書かれた「詩」の塊である。 しかし問題は散歩の中身のほうで、このような具合なのだ。
「仕事の帰り道四時間かけ、休みの日には最大一日十時間も歩くようになっていた。毎日毎日、『雨ニモマケズ』のように。体に負荷をかけると、そのことに気をとられ、いらぬことを思う余力が削がれると信じ、両肩に重い荷物を担ぎ、坂道や階段、歩道橋に出遭えば登る、そしていらぬことが心に浮かびそうになったらそれを振り払うように思い切り歌をうたう。(略) いつしか私は、変性意識状態に入っていた。十時間歩いても全く疲れず、全てがクレイアニメのように見えるようになったのである」 「私が散歩するうちに見いだした「極意」に、「この道は通り抜けられないだろう」と見える路地にあえて入っていくというものがある。本当に抜けられなければ戻ればいい」(いずれも本書「あとがき」より)
こうして路地へ、狭いほうへと向かう足取り。まるで迷うために、八方塞がりになるための散歩? ミラクルへと反転するための助走? もしかするとこの詩を読んでいるひとは、「この詩人は狂っているのではないか」という想いを、一度はいだくかもしれない。だが、詩人の散歩はそれを反転させるものなのだ。
本書には「にしこく挽歌」「散歩依存症」「ガザの上にも月はのぼる」ほか、39篇を所収。写真とドローイング、詳細な年譜も付した。
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