『失語症・自閉症・口ごもる言葉たち ~「声」・「音〔おと〕」のざわめきとラカン派精神分析 ~ 』の詳細情報
Amazonで予約する
|
タイトル |
失語症・自閉症・口ごもる言葉たち |
サブタイトル |
「声」・「音〔おと〕」のざわめきとラカン派精神分析 |
著者 [著者区分] | ■セルジュ・アイルブルム [著・文・その他] ■中西 之信 [翻訳]
|
出版社 |
晃洋書房 |
レーベル |
|
本体価格 (予定) |
4800円 |
シリーズ |
|
ページ数 |
288p
|
Cコード |
3011 |
発売予定日 |
2024-09-18 |
ジャンル |
専門/単行本/心理(学) |
ISBN |
9784771038530 |
判型 |
A5 |
内容紹介 |
「ざわめきたち」と「人間的なもの」
言葉をめざす失語症者の声たち、声をめざす自閉症者の音たち、閉じ込められ自由が奪われた「口ごもる言葉たち」――これら「ざわめき」たちを論じ、「人間的なもの」の核を抽出するラカン派精神分析家 セルジュ・アイルブルムの論考。訳者による詳細な解説を付す。
|
目次 |
序── 一つの道筋 第1 章 解剖学的観察──眼差しから声へ 【ド・フシーの「発話の自己観察」──「主体」の導入】 【ド・フシー vs. リンネ】 【ド・フシー「解剖学的観察」】 【眼差しから声へ──精神分析の出自】 第2 章 ブローカと失語症 ──「ざわめく」発話における主体 【名付けをめぐる論争】 【言語残余「タン」と罵り言葉──ブローカ,フロイト,ラカン,バンヴェニスト】 【「主体」の重視──アフェミー vs. アフラジー vs. アファジー】 【アフェミーから精神分析へ──「ざわめき」と「無意識」】 【トゥルソーへのブローカの手紙】 【言語の大脳局在──ブローカ vs. フロイト】 【「一対一対応の不可能性」と「主体」】 【フロイト──「二重の勘違い」からブローカの主張へたどりつく】 【ブローカ vs. トゥルソー】 【ブローカ vs. リトレ】 【再びアフェミー vs. アフラジー vs. アファジー】 【ブローカはなぜアフェミーに決めたのか?──「主体」の措定】 第3章 ユダヤ人,神経学者,そして精神分析家 ──口ごもる言葉たち 【口ごもる言葉たち──イディッシュ語,下手くそドイツ語】 【アンリ・メージュとルシアン・イスラエル──イディッシュ語は追放されているのか?】 【アンリ・メージュ『サルペトリエールの彷徨える-ユダヤ人』】 【声・発話・言語活動は人間的なもののために存在する】 第4章 ざわめきたち──失語症と自閉症 【ざわめきたちとしての失語症】 【言語活動と大脳組織との間】 【対象-声 vs. 固有なもの】 【声のない人間──声の向こう】 【対象aとしての声,呼びかけとしての声】 【話すことの残余──主体の到来】 【声の向こう──残余としての音〔おと〕】 【カナーと自閉症】 【フロイト,対象-声との出会い──鏡・同一性 vs. 欠落・分裂】 【精神分析理論の原理──代理,欠如,声】 第5章 無言症のヴェラ ──知に閉じ込められた子供 【逃走──眼差しから離れることに耐えられない】 【ヴェラは記憶であり知である】 【無言症から「つらいの」へ】 【治療──「対象とならなかった声」から「対象としての自分の声」へ】 【「邪魔な音〔おと〕」・「いらいらさせる音〔おと〕」としてのヴェラ】 【音〔おと〕が声になれない──デビリテの身体】 【さらなる「つらいの」──知っていること・知ることのつらさ】 第6章 ラカンを読む,ラカンを聞く 【フロイト vs. ラカン──書かれたものと声】 【ラカンを読むこと】 【フェティッシュと「書字を生み出す」読み】 【読むこと=書字に声を先行して与えること】 【声のかけら,声の享楽】 第7章 自閉症者と声 【転移と「初めての言葉」──自閉症の少年アドリアン】 【音〔おと〕たち──深淵を乗り越える梃子】 【自閉症と声】 【排泄物たち】 【倒錯を呼び寄せる自閉症】 【音〔おと〕たちは聞かれなければならない】 【「プラトンの洞窟」と言語活動の誕生】 【アドリアンの身体(=音〔おと〕のかけらたち=ざわめきたち)と主体の出現】 【ソジー妄想と声】 【身体と享楽──境域の作用】 【自閉症者の身体とは,声とは】
概要と解説 Ⅰ.概要 1.著者について 2.本書の梗概
Ⅱ. 解説──声たち・音〔おと〕たちのざわめきと「人間的なもの」 1.失語症と声 2.自閉症と音〔おと〕たち 3.口ごもる言葉たち 4.文字と声 5.おわりに──ざわめきたちと「人間的なもの」 |