『戻れないけど、生きるのだ  ~男らしさのゆくえ ~ 』の詳細情報

戻れないけど、生きるのだ 
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タイトル 戻れないけど、生きるのだ 
サブタイトル 男らしさのゆくえ
著者 [著者区分]清田 隆之 [著・文・その他]
出版社 太田出版 レーベル
本体価格
(予定)
1900円 シリーズ
ページ数 304p Cコード 0095
発売予定日 2024-12-24 ジャンル 一般/単行本/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN 9784778319960 判型 46
内容紹介
ひとりの青年が、とまどい、ゆらぎ、つまずきながら、夫になり、父になる成長物語。その率直さに胸を衝かれる。男性が本書から学ぶことは多いだろう。──上野千鶴子

このひとの書くものはブレない。それはたぶん、自分の立ち位置と付与された力を厳しすぎるくらいに点検することを忘れないからだ。──信田さよ子

フェミニズムから受け取った重たい宿題。これからの〈俺たち〉へ。

男らしさや男性性にまつわる当事者研究として各メディアで話題となった『さよなら、俺たち』に続く最新ジェンダー・エッセイ集。ジェンダーの先にある人間の生き方、幸福を探求する。

人生の価値は、人生の豊かさは、どれだけ何かに心を揺さぶられたかでおそらく決まる。ジェンダーとは生き方や在り方に直結する問題で、私たちの言動や感受性のOS(オペレーション・システム)として機能しているものだ。そこに変化を加えようとすれば、当然ながらいろんなところがギリギリ軋む。そのストレスや不快感はバカにならず、反動的なエネルギーが生じたって不思議ではない。だからこそ思う。俺たちは頭で考えてるだけでは変われない。そのためには何かに圧倒され、言葉を失い、放心状態になるような体験を重ねることが重要で、内省も責任も、ケアも覚悟も、抵抗も希望も、きっとそういう時間から生まれるはずだ。もちろん本やドラマだけじゃない。恋愛にも、子育てにも、仕事にも、旅にも、生活にも、友達とのお茶にも、そんな感動は宿っている。「昔のほうがよかった」「ずいぶん息苦しい時代になった」「あの頃に帰りたい」って気持ちは誰の中にもあると思うけど、進んでしまった時間を、変化してしまったものを、元に戻すことはもうできない。それでも毎日は続くし、何かに心を震わせながら生きていくことは全然できる。さよならした時間に戻ることはできないけれど、男らしさの危機が叫ばれるこの時代を、俺たちはこれからも生きるのだ。
(「戻れないけど、生きるのだ」)

1 〈男〉とフェミニズム──シスターフッドの外側で
2 我は、おじさん──男性優位社会と中年世代の責任
3 被害と加害と恥と傷──泣いてる〈俺〉を抱きしめて
4 平成から遠く離れて──生産性の呪いと自己責任社会
5 家父長制への抵抗──結婚と家族、ジェンダーの呪縛
6 これからの〈俺たち〉へ──beingの肯定


目次
戻れないけど、生きるのだ

1 〈男〉とフェミニズム──シスターフッドの外側で
はたして俺たちは、フェミニズムとどう向き合っていけばよいのだろうか
無知で無自覚な俺たちに突きつけられた鏡
シスターフッドと「男は不要」の狭間で
マスキュリニティとホモソーシャルにさよならを──『問題のあるレストラン』が描く被害と加害の連鎖
誰もやらないなら、あたしがやるしかない──深夜の放心、言葉の充満

2 我は、おじさん──男性優位社会と中年世代の責任
社会の価値観を形作っているのは誰なのか?──人気バラエティのジェンダー表現
学習による最適解か、だだ洩れの内面か──マジョリティ男性の奇妙な自分語り
世にも珍しい、マジョリティ男性による高解像度な自分語り
俺たちが「我は、おじさん」と宣言するために必要な覚悟と責任

3 被害と加害と恥と傷──泣いてる〈俺〉を抱きしめて
被害者はこのような〝時間〟を生きている
「動揺したくない」私たちが、これ以上被害を傍観しないために
射精にまつわる男性の責任と、その根底に息づく弱々しくてほの暗い感情
恥は恥だが役に立つ?──恥の個人史から考える恥の功罪

4 平成から遠く離れて──生産性の呪いと自己責任社会
名もなき人々の言葉から浮かび上がる新自由主義社会の実相
「※ただし、すべて自己責任で対応してください」という見えないただし書き
〝生産性の呪い〟と生活の手触り──個人史から考える「東京」のこと

5 家父長制への抵抗──結婚と家族、ジェンダーの呪縛
婚活と家父長制、その先にある虚無と死
「作る女」と「食べる男」にかけられた呪いの重さは絶対に違う──ジェンダーの呪縛に満ちたニッポンの食卓
身体的な性差がテクノロジーによって解消されたとしたら?
こんなとこにも家父長制?──日常に侵入するショート動画
育児と男性性──弱きものへの応答責任(responsibility)

6 これからの〈俺たち〉へ──beingの肯定
俺たちは「お茶する」ことができるだろうか?──ケアの欠如とbeingの肯定
時間がかかったって、いいじゃないか──ケアの交換、「悩み」の持つ可能性
好きな男の姿を見るのは楽しい 好きな男について語るのも楽しい
もう誰かと恋愛することはないと思うけれど

あとがき
著者略歴(清田 隆之)
1980年東京都生まれ。文筆業、「桃山商事」代表。早稲田大学第一文学部卒業。ジェンダー、恋愛、人間関係、カルチャーなどをテーマに様々な媒体で執筆。朝日新聞beの人生相談「悩みのるつぼ」では回答者を務める。桃山商事としての著書に『生き抜くための恋愛相談』『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(ともにイースト・プレス)、単著に『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』(朝日出版社)、トミヤマユキコ氏との共著に『大学1年生の歩き方』(集英社文庫)、澁谷知美氏との共編著に『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)など。Podcast番組『桃山商事』『オトコの子育てよももやまばなし』も配信中。
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