『勇猛と正直 ~佐藤幸徳中将手記 ~ 』の詳細情報
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タイトル |
勇猛と正直 |
サブタイトル |
佐藤幸徳中将手記 |
著者 [著者区分] | ■佐藤 幸徳 [著・文・その他] ■佐藤 彰一 [著・文・その他]
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出版社 |
彩流社 |
レーベル |
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本体価格 (予定) |
3500円 |
シリーズ |
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ページ数 |
268p
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Cコード |
0021 |
発売予定日 |
2024-08-26 |
ジャンル |
一般/単行本/日本歴史 |
ISBN |
9784779129957 |
判型 |
46 |
内容紹介 |
最も拙劣で無責任な作戦として名高い「インパール作戦」の師団長・佐藤幸徳中将が後世に残していた歴史の真実。そして「抗命事件」の真相とは? 本書は、太平洋戦争のあいだの「インパール作戦」に参加した三軍団のひとつ第31師団・烈師団を指揮した師団長・佐藤幸徳中将が書き残した手記と、彼が戦後に発表した二篇の論文を収録し、そして佐藤中将の大甥にあたる歴史家・佐藤彰一氏(名古屋大学名誉教授)が大伯父の人となりについて記した論攷で構成されている。佐藤中将は昭和34年に没したが、その数週間前にほとんどの書きものと手紙類を焼却するよう指示した。こうした事情から佐藤中将の発話は、本書の自筆原稿と、印刷された二篇の論攷しか存在しない。第1部は「手記」と雑誌「新民」(昭和28年)「青淵」(昭和29年)に寄稿した論文。第2部は佐藤彰一氏による佐藤中将の生い立ちと、本人が書き残していない「張鼓峯事件」の概要、そして「インパール作戦」に関する補論からなる。職業軍人・佐藤幸徳中将の「思想」を探る画期的な試みとなっている。最終的に佐藤中将は経済的な困窮に陥り、昭和34年2月26日、肝硬変で病死する。佐藤中将は死の直前まで日本軍上層部を批判し続けたが、特に牟田口廉也と第15軍司令部に対しては厳しく、手記には「複雑怪奇、奇想天外の陰謀」などと書き残しており、あらゆる媒体を通じて激しい言葉で牟田口を批判していたのであった。
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目次 |
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著者略歴(佐藤 幸徳) |
さとう・こうとく1893年3月5日、山形県生まれ。1959年2月26日(65歳没)。大日本帝国陸軍中将。鶴岡中学校から仙台陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校卒業。1921年に陸軍大学校卒業。陸軍参謀本部勤務や部隊勤務などを経る。1922年6月出征、8月歩兵大尉・歩兵第32連隊中隊長。1934年8月第6師団参謀。1937年8月歩兵大佐。10月第19師団歩兵第75連隊長「張鼓峰事件」。1938年12月第8国境守備隊第2地区隊長。1939年8月少将・第23歩兵団長。1941年3月第54師団司令部附。8月第54師団兵務部長。10月第67独立歩兵団長。1942年12月中将。1943年3月第31師団長「インパール作戦」。1944年7月緬甸方面軍司令部附。11月予備役・召集・第16軍司令部附。1945年5月東北軍管区司令部附。10月召集解除。 |
著者略歴(佐藤 彰一) |
名古屋大学名誉教授。 |