『ジョージ・エリオットのリアリズムと道徳観』の詳細情報

ジョージ・エリオットのリアリズムと道徳観
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タイトル ジョージ・エリオットのリアリズムと道徳観
サブタイトル
著者 [著者区分]石井 昌子 [著・文・その他]
出版社 彩流社 レーベル
本体価格
(予定)
4000円 シリーズ
ページ数 316p Cコード 0098
発売予定日 2024-12-17 ジャンル 一般/単行本/外国文学、その他
ISBN 9784779130168 判型 46
内容紹介
シンパシーに乏しい人間描写からの考察
ジョージ・エリオットは道徳の基礎にシンパシーをおく。彼女が小説の様式としてリアリズムを採用する主な目的は、読者の登場人物への理解を深め、「仲間」として、登場人物に対するシンパシーを高めることにある。本書では「リアリズム」を「登場人物の心理や外部事実の合理的で詳細な記述があること」そして「物語中の出来事の蓋然性が高いこと」と捉えたが、そのリアリズムの基本的要件に立ち返り、後期作品に向かうにつれてエリオットの道徳観が成熟するとともにリアリズムが進展してゆく過程を明らかにすること。その方法として、物語中のシンパシーに乏しい人間の描き方のリアリズムの進展に焦点を当て、その背後にある作者の道徳観の成熟を推測する。なぜなら作品のリアリズムの進展は作品から見て取ることができ、また作者のシンパシーの対象の広がりという道徳観の成熟はシンパシーに乏しい人間の描写に顕著に表れるからである。エリオット作品のリアリズムを通時的に論じる場合、初期作品はリアリズムに沿っているが、中期作品以降は「道徳的寓話」であると見なすのがエリオットの同時代から二十世紀半ばまでの定説であった。それ以降も現在までエリオットの道徳観においてシンパシーに乏しい人物は個人もしくは社会にとって一律に有害であると考えられ、その心理や、個人もしくは社会に対する影響の吟味はなされなかった。本書では、従来の見方とは異なり、シンパシーに乏しい人物が、家族や社会にとって有害で追放されるか改悛させられねばならない存在から、後期作品においてはシンパシーに乏しいままで家族をより大きな絶望から救うという肯定的価値をもつ存在へ、あるいはその被害者的心理も描かれる存在へ、と変化していることをテキストの「描写」および「物語の時代背景」から探っていく。
目次
第1章 エリオットの小説のリアリズム
第2章 エリオットの道徳観とシンパシーとリアリズム
    ──「ジャネットの悔悟」の比喩表現を例として
第3章 語り手の心の鏡に映らないヘティ
    ──『アダム・ビード』のリアリズム再考
第4章 洪水の結末とシンパセティックなトム
    ──『フロス河畔の水車場』におけるリアリズムの進展
第5章 シンパシーとシンパシーの欠如の交差
    ──『ミドルマーチ』における道徳観の成熟とリアリズムの進展
第6章 『ダニエル・デロンダ』におけるモダニズム的手法の採用
    ──人間の根本的善性への信頼の揺らぎ
著者略歴(石井 昌子)
いしい・まさこ 京都大学法学部、同大学文学部卒業、ロンドン大学大学院(the Institute of Education)修了、修士(教育学)、京都大学大学院文学研究科博士後期課程(文献文化学専攻)、神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程(文化相関専攻)修了、博士(学術)。現在、同志社大学嘱託講師、京都教育大学非常勤講師。著書に『英語のエッセンス』(共著、大阪教育図書)、訳書に『牧師たちの物語』(ジョージ・エリオット著、共訳、ジョージ・エリオット全集1、彩流社)、論文に“Sympathy, Morality and Metaphor:‘ Janet’s Repentance’ and the‘ Recollections.’” The George Eliot Review, no. 52,“ Development of Realism in Middlemarch: Reinterpreting Rosamond.” The George Eliot Review, no. 55. 等がある
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