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タイトル |
文庫 家康伝説の謎 |
サブタイトル |
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著者 [著者区分] | 渡邊 大門 [編集]
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出版社 |
草思社 |
レーベル |
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本体価格 (予定) |
1100円 |
シリーズ |
草思社文庫 |
ページ数 |
360p
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Cコード |
0121 |
発売予定日 |
2024-12-04 |
ジャンル |
一般/文庫/日本歴史 |
ISBN |
9784794227607 |
判型 |
文庫(A6) |
内容紹介 |
家康は「戦さ巧者」だったのか? 「小山評定」は本当にあったのか? 気鋭の研究者たちが明かす家康の「虚像」と「実像」! 人質時代から織豊時代、天下人になるまで、 その生涯を一級史料から追う。
辛抱強い戦略家、神君といった家康の一般的イメージは、 江戸期に創られた、家康を特別視する 「松平・徳川中心史観」に基づくものであり、誤りが少なくない。 本書では、今川氏の人質時代から信長との同盟時代、豊臣政権時代、 関ヶ原の戦い・大坂の陣の時代まで、 家康の生涯を一次史料に基づく最新研究からつぶさに検証。 俗説を排し、通説を見直し、真の家康像を浮き彫りにする。
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目次 |
はじめに
第一部 権力確立期の家康
第一章 「徳川四天王」の実像
「徳川四天王」と「徳川三傑」 酒井一族の由緒と左衛門尉家 家康・忠次体制の成立 本多忠勝・榊原康政の登用 徳川氏領国の拡大と「方面軍」 井伊直政の抜擢と武田氏旧臣 「三傑」の地位向上と酒井忠次の引退 関東移封と関ヶ原の戦い 「三傑」の後継者たち
第二章 松平信康事件は、なぜ起きたのか?
松平信康事件をめぐって 松平信康の立場と活動 甲斐武田氏との攻防と信康周辺 信康事件の政治背景とその後の展開
第三章 家康の領国支配は、どのように行われたか?
徳川氏研究の現状 三河の戦国大名徳川氏 徳川氏の三河・遠江支配 五ヶ国領有期の徳川氏 豊臣大名徳川氏の「国家」改革 ①徳川氏の「五十分一役」/②領国検地の実施/ ③太閤検地と徳川氏の領国検地/④関東転封後の徳川氏と領国支配 徳川氏の領国支配の特徴
第四章 家康と本能寺の変をめぐる謎
光秀による「家康の饗応失敗」をめぐって フロイスの『日本史』に見る信長と光秀 信長による「家康討伐計画」説 信長は家康を用済みと考えたのか 家康討伐計画への疑問 信長と家康の真の関係 信長の「唐入り計画」説 家康討伐計画説の多々ある問題 「神君伊賀越え」は奇跡的だったのか 伊賀越え後の展開
第二部 豊臣政権下の家康
第五章 小牧・長久手の戦いで家康は負けたのか?
会戦としての「小牧・長久手の戦い」と戦役としての「小牧・長久手の戦い」 小牧・長久手の戦い以前の政治状況 小牧・長久手の戦いの原因 通説への異論 家康が信雄に味方した理由 四月九日の会戦以前の状況 「三河中入」作戦について 四月九日の会戦 その後の戦い 家康・信雄と同盟を組んだ者の動向 秀吉と家康・信雄、どちらが勝ったのか?
第六章 なぜ家康は江戸に入ったのか?
家康、江戸に入る 江戸時代における諸説 日本近世史研究における諸説 中世の江戸に関する研究の進展 家康関東入国の背景 豊臣政権の街道整備と江戸 なぜ家康は江戸に入ったのか?
第七章 豊臣五大老としての家康
秀吉の死 五大老の実力 官位から見た五大老 五大老の役割と位置づけ 家康専制の確立 そして関ヶ原へ
第八章 最初から家康は石田三成と仲が悪かったのか?
家康にとっての邪魔者 小牧・長久手の戦い以前の家康と「取次」 小牧・長久手の戦いと家康・三成 家康の臣従と「取次」 対北条氏外交における家康と三成 豊臣政権下における家康と秀吉奉行人①──江戸入部前 豊臣政権下における家康と秀吉奉行人②──江戸入部後 家康と豊臣政権五奉行 家康包囲網と三成 秀吉没後の家康と三成 宿命づけられていた二人の対立
第三部 関ヶ原の戦い・大坂の陣における家康
第九章 小山評定は本当にあったのか?
従来の小山評定のイメージ 家康による上杉討伐の決定の経過 小山評定論争①──「七月十九日付福島正則宛て徳川家康書状写」の解釈 筆者(白峰)の見解/本多氏による批判/筆者(白峰)の反論 小山評定論争②──「七月二十九日付大関資増宛て浅野幸長書状」の解釈 筆者(白峰)の見解/本多氏による批判/筆者(白峰)の反論 マクロな視点の必要性 小山評定は本当にあったのか?
第十章 「直江状」は本物なのか?
「直江状」とは? 「直江状」の真偽をめぐって/肯定派・否定派の主要な論点 「直江状」の時代背景 会津出兵前夜 上杉氏の対応/認め難い「直江状」の存在 「直江状」は諸大名に転送されたのか? 「直江状」はどのように広まったか?
第十一章 家康と秀頼との関係──「二重公儀体制」をめぐって
豊臣家は徳川家の下であったか? 所領配分の実際 大名配置の妙 発給されなかった領知宛行状 豊臣秀頼の存在 伊達政宗の考え 二重公儀体制とは? 個々の論点の検証──①②③④の問題 個々の論点の検証──⑥の問題 個々の論点の検証──⑦の問題 個々の論点の検証──⑧の問題 改めて家康と秀頼との関係を考える
第十二章 方広寺鐘銘事件の真相とは?
事件は家康の謀略だったのか? 方広寺大仏殿とは? こじれた大仏開眼供養会 「国家安康」への不快感 鐘銘批判の経緯 清韓の釈明 決裂した交渉 反発を受けた且元 徳川方の意図
第四部 家康の戦略
第十三章 家康は戦さ巧者だったのか?
家康の合戦 今川氏からの自立──初陣から三河統一まで 桶狭間の戦い/今川氏真との戦い/三河の一向一揆 姉川の戦い 甲斐武田氏との抗争 武田信玄との戦い/武田勝頼との戦い/長篠の戦い/武田氏を滅亡に追い込む 家康の戦争の特徴 ①城砦建設による包囲網の形成/②知行宛行による誘降工作/③近隣勢力との外交
第十四章 家康はどのように大名統制を進めたか?
変わる「関ヶ原の戦い」の評価 関ヶ原の戦い後 将軍宣下/秀忠の将軍宣下/誓紙の提出 大坂の陣後 武家諸法度 個別的事例 ①井伊家/②池田家 幕府と藩を取り持つ「取次」 徳川公儀の確立
第十五章 家康と天皇・公家衆
「封じ込まれた」天皇のイメージ 公家衆による挨拶儀礼 昵近衆の成立 昵近衆への期待 家康と朝廷①──猪熊事件をめぐって 家康と朝廷②──禁中並公家中諸法度の制定をめぐって 家康の朝廷戦略
あとがき 文庫版あとがき |
著者略歴(渡邊 大門) |
渡邊 大門(わたなべ・だいもん) 1967年、神奈川県生まれ。歴史学者。関西学院大学文学部史学科日本史学専攻卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。著書に『関ヶ原合戦全史 1582-1615』『大坂の陣全史 1598-1616』(以上、草思社)、『光秀と信長 本能寺の変に黒幕はいたのか』『奪われた「三種の神器」 皇位継承の中世史』(以上、草思社文庫)、『誤解だらけの徳川家康』(幻冬舎新書)、『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』『戦国大名は経歴詐称する』(以上、柏書房)など。 |