『図説 北条氏康 ~クロニクルでたどる〝天下無双の覇主〟 ~ 』の詳細情報
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タイトル |
図説 北条氏康 |
サブタイトル |
クロニクルでたどる〝天下無双の覇主〟 |
著者 [著者区分] | 黒田基樹 [著・文・その他]
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出版社 |
戎光祥出版 |
レーベル |
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本体価格 (予定) |
1800円 |
シリーズ |
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ページ数 |
162p
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Cコード |
0021 |
発売予定日 |
2024-06-28 |
ジャンル |
一般/単行本/日本歴史 |
ISBN |
9784864035354 |
判型 |
A5 |
内容紹介 |
伊勢宗瑞の孫にして、戦国北条家三代目・北条氏康初の評伝!
武田信玄・上杉謙信・今川義元らライバルたちとの激闘、古河公方の擁立、越相同盟の成立と、軍事と外交の両面で才能を遺憾なく発揮し、〝今代天下無双の覇主〟として関東制覇の夢へと突き進んだ氏康の生涯をクロニクル形式で解説。 戦国時代の関東地図や合戦・領国統治の状況を整理したカラー図版、美麗な史跡写真を多数収録し、最新研究をわかりやすく伝える氏康伝の決定版です。
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目次 |
Ⅰ 誕生から家督継承まで 永正十二年(1515)~天文十二年(1543) 北条氏綱の長男として小田原城で誕生か 氏綱が伊勢から北条へ改称。元服して「北条氏康」と名乗る 小沢原合戦で初陣を飾る。今川氏親の娘(瑞渓院殿)と結婚 花蔵の乱で今川義元を支援するも絶交、駿河河東地域を占領 河越合戦・国府台合戦で勝利、氏綱は関東管領に就任する 関東最大の六ヶ国太守となった氏綱が死去、三代目を継承 代替わり政策の展開と領国半分を統治した弟・為昌の死去 Ⅱ 関東・東海での軍事行動、唯一の関東管領へ 天文十二年(1543)~天文二十一年(1552) 本格的に軍事行動を開始、武田晴信と対山内上杉で和睦 北条綱成を安房に進軍させ河東地方では今川義元と対決 今川・武田軍が河東へ進軍、武蔵では河越城が包囲される 河東一乱が終結、腹背に敵を受けた最大の危機から脱出 河越合戦に勝利、敵となった足利晴氏に「君子の逆道」と非難 上総佐貫城攻め、扇谷上杉家勢力を滅ぼし領国を併合 山内上杉方の小幡・藤田などの国衆を経略し北武蔵に進出 領国全域で多くの百姓が逃散し、耕作不能の大打撃に 領国復興のために発布した「公事赦免令」を自賛 結城家支援と梅千代王丸の葛西入城で「葛西公方」が成立 太田資正による上野国衆の調略や宇都宮家内乱への介入 京都南禅寺住持から「今代天下無双の覇主」と評される 駿甲相三国同盟、三大名家が相互に婚約関係を結ぶ 足利晴氏との和解が成立、山内上杉憲政を越後へ逐う Ⅲ 長尾景虎との戦いと古河公方の擁立 天文二十一年(1552)~永禄二年(1559) 次男氏政を嫡男とし、上野で長尾景虎との対戦が始まる 北条家の悲願達成、甥の足利梅千代王丸を古河公方当主に 陸奥白川と通信開始、逆乱が生じた里見義堯の領国へ進軍 娘早川殿の豪華な婚姻行列と、その隙に生じた足利晴氏の謀叛 信玄の娘と嫡男氏政の結婚で駿甲相三国同盟が完成 房総へ渡海し金谷城を制圧、足利義氏の元服式を葛西城で行う 常陸海老島合戦で小田軍に勝利、三男氏照を大石家の養子に 上野・下野・上総東部へ、敵対する国衆に軍事行動を展開 川中島合戦に派兵、下野で宇都宮家の内乱を終息させる 足利義氏が鶴岡八幡宮参拝・小田原訪問を終え関宿城に入る 今川義元の小田原訪問と「北条家所領役帳」の作成 Ⅳ 関東制覇の野望と氏政への家督譲渡 永禄二年(1559)~永禄八年(1565) 上野沼田城へ出陣、嫡男氏政に家督を譲り隠居する 長尾景虎が上杉憲政を擁し越山、多くの関東国衆が離叛する 景虎が小田原へ侵攻、武田・今川軍が到着し三国共闘成る 上杉政虎への反撃開始、関東で武田家との共闘を開始 葛西城を奪還、五男氏邦は天神山領に入部する 松山城を奪還も、陸奥で「氏康頼もしからず」の評判が立つ 国府台で里見義堯・義弘と戦い勝利、房総への反撃開始 下総関宿城攻め、上総・安房への派兵、そして最後の出陣 Ⅴ 無双の名将、世を去る 永禄九年(1566)~元亀二年(1571) 出陣の停止と「武栄」朱印状を活用した領国統治 輝虎の関東経略の失敗、動揺する駿甲相三国同盟 三国同盟崩壊と今川氏真の焦燥、越相同盟交渉が始まる 越相同盟が成立、信玄の小田原攻めと三増峠の戦い 氏康の重態、そして死去 |