『失われた創造力へ ~ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリの言葉 ~ 』の詳細情報

失われた創造力へ
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タイトル 失われた創造力へ
サブタイトル ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリの言葉
著者 [著者区分]多木 陽介 [著・文・その他]
出版社 どく社 レーベル
本体価格
(予定)
3000円 シリーズ
ページ数 112p Cコード 0070
発売予定日 2024-05-20 ジャンル 一般/単行本/芸術総記
ISBN 9784910534046 判型 46変形
内容紹介
「好奇心がないようなら、おやめなさい」
ーアキッレ・カスティリオーニ
「聞いたことは忘れる、みたものは覚えている、やったことは理解できる」
ーブルーノ・ムナーリ
「デザインが本来もっていたユートピア志向を取り戻さねばならない」
ーエンツォ・マーリ

つくる・育む、すべての人へ。
アキッレ・カスティリオーニの思想を日本に紹介した
ローマ在住の批評家・多木陽介が、デザイン界の巨匠の言葉に、
これからの創造力を導く思想を探る。
完全新訳。
目次
PROGETTAZIONE—イタリアンデザインの思想と方法論の回帰

Bruno Munari ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ものからものが生まれる
・ファンタジア/発明/創造力/想像力
・子どもの心を自分のなかに/一生もちつづけるということは/知ろうとする好奇心/理解する愉しみ/人に伝えたくなる気持ちを/大事にすることを意味する。
・一切無駄がないこと
・スタイリングはデザインではない。
・規則と偶然
・その重力そのものがこのランプのフォルムを決定する。
・「種」の自覚をもつと、いつしか他者のために働き、隣人(それもわれわれ自身である)を助けてみんなで大小の問題を解決するようになる。
・生而不有/為而不恃/功成而弗居
・静かな革命
・聞いたことは忘れる、見たものは覚えている、やったことは理解できる 。
・明らかにそうだとわかっていないものについては、絶対に鵜呑みにしないこと
・美しさは正しさの結果である。
・贅沢さとは、愚かさの自己顕示である。
・デザイナーに何か夢があるとすると、それはあらゆる社会階層からできるだけ文化的な無知をなくすことです。
・プロジェッティスタの多くは、問題を解決するようなアイデアをすぐに見つけようとする。
・多くの物は作者の名前なしに売られている。

Achille Castiglioni・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・好奇心がないようなら、おやめなさい。
・私のデザインした作品がどこかのミュージアムに私の名前とともに飾られているというのは嬉しいが——
・偽りのニーズ、偽りの目標
・正当なデザイン/不当なデザイン
・形態的表現と内容の選択のあいだにある論理的な厳密さ
・筋が通っている
・最も目立たない(humble)物にもストーリーがあるという
・良いプロジェクトとは、自分がやったぞ、という徴を残そうとする野心ではなく、あなたたちがデザインした物を使うことになる、見ず知らずの誰かと、ほんの些細なことでもいいから、何かを取り交わそうという、その気持ちから生まれるのです。
・人の家のインテリアをつくるって ?  そりゃあほとんど無理な 話ですよ。
・とんだ勘違いをしていなければ
・あと何が取れるかな ?
・インテグラルプロジェクト
・進化
・何を、どのように、どれだけ見たいか
・もしこのテーブルの上にある物すべてがテーブルなしでもこの高さにとどまり、ランプなしで光が出てきたら、こりゃあ、悪くないよ ……いや、なかなか悪くないぞ ……
・音楽が音と休止で成り立っているように、照明は光と影からできている。光だけでは音楽にならないよ。
・デザインとは、一つの専門分野であるというよりは、むしろ人文科学、テクノロジー、政治経済などについての批評能力を個人的に身につけることから来るある態度のことなのです。
・ファンタジアとはジャムのようなもので、固い一切れのパンに塗る必要があります。

Enzo Mari・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・デザインが本来もっていたユートピア志向を取り戻さねばならない。
・かたちのクオリティ
・ブーメラン。経験だけが頼りだったとはいえ、何世代もかけたこのオブジェの弾道精度の探求は、現代の科学的探求に匹敵するものである。
・プトレッラ( H鋼 )
・百姓というのは、終わりのない、素晴らしいプロジェッタツィオーネの仕事です。
・知識とは、生の現実に基づいているものなんだ。
・自分で考えてつくること、それが 、他人に自分の生き様を設計されてしまわないための最良の方法なのだ。
・すべてはもう存在している。
・職人たちは、みな手の技術には優れているが、脳の技術が足りない。
・消費者のためではなく、職人や工場の職工など、物づくりの担い手のためにデザインするべきである。

出典
忘れっぽい私たちへ—原田祐馬(UMA/design farm代表)
著者略歴(多木 陽介)
批評家、アーティスト。1988年に渡伊、現在、ローマ在住。
演劇活動や写真を中心とした展覧会を各地で催す経験を経て、現在は多様な次元の環境(自然環境、社会環境、精神環境)においてエコロジーを進める人びとを扱った研究(「優しき生の耕人たち」)を展開。芸術活動、文化的主題の展覧会のキュレーションおよびデザイン、また講演、執筆、そして教育活動「移動教室」など、多様な方法で、生命をすべての中心においた、人間の活動の哲学を探究。
著書に『アキッレ・カスティリオーニ―自由の探求としてのデザイン』(アクシス、2007年)、『(不)可視の監獄―サミュエル・ベケットの芸術と歴史』(水声社、2016年)。訳書に、マルコ・ベルポリーティ『カルヴィーノの眼』(青土社、1999年)、プリーモ・レーヴィ『プリーモ・レーヴィは語る』(青土社、2002年)、ウンベルト・ガリンベルティ『七つの大罪と新しい悪徳』(青土社、2004年)、アンドレア・ボッコ、ジャンフランコ・カヴァリア『石造りのように柔軟な―北イタリア山村地帯の建築技術と生活の戦略』(編訳、鹿島出版会、2015年)、アンドレア・ボッ…
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